同志社大学の校庭には韓国人尹東柱「ユンドンジュ」詩人の詩碑がある。
彼は日本強占期に同志社大学に留学に来ていた。
クリスチャンであって、愛国者であった彼は28才の若さで福岡の刑務所で生命を落とす。
しかし、彼の詩は今でも多くの人々に感動を与え続けている。
崇高で聖い彼の信仰と人格が詩の中ににじみ出ているからだ。
その中のひとつを紹介しよう!

「私の人生に秋が来ると」

私の人生に秋が来ると、私は私に聞いてみたい話があります。

私の人生に秋が来ると、
私は私に「人々を愛したのか」と聞きます。
その時、軽い心で話せるように、私は今多くの人々を愛します。

私の人生に秋が来ると、
私は私に「熱心に生きたのか」と聞きます。
その時、自信をもって話せるように、私は今迎えている一日一日を最善を尽くして生きます。

私の人生に秋が来ると、
私は私に「人々に傷つけたことは無かったか」と聞きます。
その時、自信をもって話せるように、人々に傷つける言葉と行動をしないようにします。

私の人生に秋が来ると、
私は私に「人生は美しかったのか」と聞きます。
その時、喜んで答えられるように私の人生の日々を喜びをもって美しく作って行きます。

私の人生に秋が来ると、
私は私に「家族に恥ずかしい事はなかったのか」と聞きます。
その時、嬉しく話せるように、今良い家族の一員となるように家族を愛し、孝行します。

私の人生に秋が来ると、
私は私に「隣人と社会と国家のために何をしたのか」と聞きます。
私はその時、力を込めて答えるために、今隣人に関心をもって、良い社会人として生きます。

私の人生に秋が来ると、
私は私に「どんな実をどれぐらい結んだのか」と聞きます。
その時、誇らしく話せるように、私の心の畑に良い考えと種を撒いて、良い言葉と良い行動の実を勤勉に育てていきます。

若い日を夢中で楽しむあまり、あなたの造り主を忘れてはいけません。生きていることを楽しむ余裕などない逆境の時が来る前に、神を信じなさい。
伝道者の書 12:1

在同志社大学的校园里,立着一块诗碑,上面刻着韩国诗人尹东柱的诗。
他曾于日本强占期来同志社大学留学。他是一名基督徒,也是一名爱国者,却在他年仅28岁的时候,在福冈的牢狱中丢失了性命。
但是他作的诗至今感动着许多人。他崇高和神圣的信仰和人格都深深得映照在了他的诗中。
在此想介绍一首他作的诗。

《当我的生命迎来了秋天》

当我的生命迎来了秋天,我会问我自己几个问题。

当我的生命迎来了秋天,我会问我自己,“你爱他人了吗?”
希望那个时候的我可以在心里回答说:“我现在爱着许多人。”

当我的生命迎来了秋天,我会问我自己,“你热心地生活了吗?”
希望那个时候的我可以自信地回答说:“我走过地每一天我都在尽全力地活着。”

当我的生命迎来了秋天,我会问我自己,“你有伤害过别人吗?”
希望那个时候的我可以自信地回答说:“我未曾在语言上或是行为上伤害过任何人。”

当我的生命迎来了秋天,我会问我自己,“你的人生过的美好吗?”
希望那个时候的我可以喜乐地回答说:“我生命的每一天都在喜乐的制造美好。”

当我的生命迎来了秋天,我会问我自己,“你有对你的家人做过难以启齿的事吗?”
希望那个时候的我可以喜乐得回答说:“我一直都在努力做一名好的家庭成员,爱我的家人,孝敬我的家人。”

当我的生命迎来了秋天,我会问我自己,“你为了你周围的人、为了社会和国家做过什么呢?”
希望那个时候的我可以坚定地回答说:“我时常关心着我周围的人,也在努力地让自己成为一个优秀的社会人士。”

当我的生命迎来了秋天,我会问我自己,“你结了什么样的果子,结了多少果子呢?”
希望那个时候的我可以骄傲地回答说:“我在我的心田里种下了好的想法和种子,也努力地让自己在好的言语和好的行为上结果实。”

你趁着年幼、衰败的日子尚未来到,就是你所说,我毫无喜乐的那些年日未曾临近之先,当纪念造你的主。传道书12:1

Categories:

Tags:

No responses yet

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です