旧約時代には人や聖所の器物に油を注いで聖別し、神に仕えるようにした。特に祭祀、王、預言者の任職の時に頭に油を注いだ。これは神の霊を注いでくださることを象徴的に示すことである。祭司の場合を見れば、モーセはアロンと彼の息子たちの頭に油を注いで祭司職に任命し、また聖所の祭壇と色々な器物にも油を注いでこれを聖別した。つまり、油注ぎは人や道具などを聖く聖別するための儀式である。
預言者の場合も同じである。エリヤはエリシャに油を注いで預言者として立て、神の働きをさせた。また、イザヤ61章にもその例が見られる。
油注ぎの中で最も多いのは、王を立てる時である。サムエルはサウルとダビデに油を注いで王として立て、サドクはソロモンに油を注いで王として立てた。
そして、聖書は油を注ぐ者が誰であれ、その権威の源が神であることを語っている。
だから「主の前の油注がれた者」と呼ばれた。(Ⅰサムエル12:3、詩篇2:2)
新約での注目すべき油注ぎは、一人の女がイエスの頭に香油を注いだ出来事である。
これは特別な歓待の表れ、或いは葬りの備えであるが、それよりもイエス様がメシアであることを表そうとした象徴的な行為であった。この他に新約では病の癒しなどに油を塗る場合もあった。(マルコ6:13、ヤコブ5:14)
注ぐというヘブライ語の動詞はマシャ(mashach)で、この動詞からメシア(救い主)という名詞が出た。
イザヤ61章では、メシアが主の霊によって油注がれると言及されている。
イザヤ61:1-神である主の霊が、わたしの上にある。主はわたしに油を注ぎ、貧し
い者に良い知らせを伝え、心の傷ついたも者をいやすために、わたしを遣わされた。捕らわれ人には解放を囚人には釈放を告げ

これはイエス様がメシアである最初の描写である。そして、イエス様が洗礼を受け、悪魔の試みに勝利されてから初めて語った言葉がこの御言葉である。(ルカ4:16~) そして、この御言葉通りに、私たちはこの油注がれた救い主イエス様を通して救われ、癒され、新しい人となる祝福を受けた。そして、何よりもこの救い主イエス様を通して私たちにも主の霊が注がれるのである。これこそ神からの最大の恵み、祝福である。  イエス様は聖書で約束されている。「求める者には聖霊を与える」と。(ルカ11:13)
だから、私たちも聖霊を受けて、イエス様がなさった働きをしよう。貧しい人に福音を伝え、病んでいる人をいやし、苦しんでいる者に解放を伝えよう。聖霊により頼って立派な救いの働きが出来るように主の聖名によって祝福をする。

旧约时代将人或圣所的器具用油膏抹来使其分别为圣,成为服侍神的。特别是祭司、王、先知任职时油膏抹他们的头。这象征性的表示神浇灌给他神的灵。看祭司的话,摩西油膏亚伦和他的儿子们的头来任命他们成为祭司,并且圣所的祭坛和各样的器具用油膏抹来分别为圣。也就是说,“油膏”是将人和器具使之圣洁、分别为圣的仪式。
先知也是这样,以利亚油膏以利沙建立他为先知,使他做神的工作。然后,在以赛亚书61章里也可以看到这样的例子。“油膏”最多的是在建立王的时候。撒母耳油膏扫罗和大卫建立他们为王,撒督油膏所罗门使他做王。
并且,圣经告诉我们无论油膏者是谁,这权柄出于神。因此被称为“受膏者”。(撒母耳记上12:3 诗篇2:2)

新约里值得关注的“油膏”,是一个女人把香油浇在了耶稣的头上。
这表达的是特别的款待或者是埋葬的准备,更是表达耶稣是弥赛亚的象征性的行为。此外,新约里也有为了医治疾病而涂抹油的记载。(马可6:13雅各书5:14)
“油膏”的希伯来语是动词(mashach),从这个动词演变出的名词就是“救世主”。
以赛亚书61章中提到弥赛亚被主的灵油膏:
主耶和华的灵在我身上;因为耶和华用膏膏我,叫我传好信息给谦卑的人,差遣我医好伤心的人,报告被掳的得释放,被囚的出监牢。(以赛亚书61:1)
这是关于耶稣是弥赛亚的最初的描写。之后,耶稣受洗并且战胜魔鬼的试探后说的第一句话就是这句话。并且,如这话语所说,我们已经通过被油膏的救主耶稣得到救援,被医治,并受到祝福成为新造的人。不仅如此,我们也通过耶稣被主的灵浇灌。这就是从神而来的最大的恩典和祝福。
耶稣在圣经里约定“岂不更将圣灵给求他的人吗?(路加福音11:13)
因此,我们也接受圣灵,去做耶稣所做的事吧。给贫穷人传福音,医治病人,使痛苦的人得到释放。祝福大家靠着圣灵做了不起的救援的工作。

Categories:

Tags:

No responses yet

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です